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名刺について3(美しさについて)
名刺について2のReloaded。

昔、こんなことを書いた。

   ***

05.06.19 美しさの規範
 こうして短文を書き溜めようと決めた動機のうちに、清水幾太郎氏の『論文の書き方』を紐解いてみたことがある。そういえば僕が中学生のころから書き続けている日記にしても、このように誰かが文章で書き残した「すすめ」ではじめたものだった。井上氏の小説作法とかいう本だったと思う。ノートをa、b、cにわけて、aに出来事の日記を、bに思索の日記を、そしてcにはaとbとをあわせて空想の日記を、というようなすすめだったと記憶している。結局無精な僕は「aのノート」だけを残し、その中にありとあらゆるもの──書き留め、愚痴、感想文、小説の断片、手紙のメモなど──をいっしょくたに混ぜ込んでしまった。もはや分類などというものは不可能で、検索は日付に頼るしかない。しかし、そうして時系列に並べられた文章は、確実に僕の成長の傍らにあるもので、これはこれで貴重なものとなった。
 さて、この清水氏の著作の中に美文について触れられている節があった。前回の話題(美しさということ参照)と関連して、美しさについて今日も書くことになる。即ち、ある時代までは「美しい文章」というものがあって、文章を書くときはその形に沿うように書かなければならなかった。清水氏が少年の頃にはもうすでにその時代は去っていたが、しかし生まれてまもない少年少女たちが自分だけの文章でものを書くのは至極難しい。文章というものは生まれた後で獲得されるものであって、それ以前にあるものではない。従ってやはり、清水少年は自分の耳に残った一句を個人的に模倣することになる。しかし清水氏が書いているように、模倣という行為は美文という眼鏡をかけて月を仰ぎ花を眺める行為だった。つまり、どのような美しさを纏おうとするかによってどのように感じるか、どのように考えるかまで選択されてしまうというのだ。
 我々はおそらく美しい光に向かって出産されたのだと思う。そしてその美しさというものを死ぬまで追い続けるのだろう。何に美しさを感じるのかということが、あなたがこの世界でどのように生きるのか、ということまでを決定しているような気がしてならない。(881文字)

   ***

僕はけっこう「美しさ」を希求するほうだ。
授業をしても、小説を書いても、カラオケで唄を歌っても、その「作品」の美しさを味わってほしい。(この場合の美しさとは、かなり幅が広い「良さ」のことだ。)

この社会においては、誰しも、誰かと誰かと誰かの複雑なコピーだ。
社会を成立させるための「役職」(死んでいった人たちの後釜)はたくさんあって、例えば誰かが電気を作らなければならないし、誰かが作物を育てなければならない。誰かは誰かに何かを教えなければならないし、誰かは誰かを看取らなければならない。

例えば「教師」は、かつて「聖職者」と呼ばれたこともあって、聖職者、つまり「できた人」を演じられない先生は、つまはじきされる。
けれど、「できた人」ってどういう人間なのか。
ある時代、それは軍隊に奉仕する人間を作れる人だっただろう。

唄を歌うとき、僕は桜井さんの姿を思い浮かべる。
彼のようには歌えないけれど、彼のように歌うとすごく気持ちがいい。
彼の歌うように真似ができると、すごくうまく歌えた気分になる。
けれど、どんなにうまく歌えたところで、それは物マネ大賞の域を出ない。

僕は僕の美しさをまといたい。
けれど、そんなこと可能なのだろうか?

僕は、僕が美しいと感じるものを手本にして、それを目指して生きている。
生きてくるうちでいろいろ見てきたけれど、その中で、僕の評価(レーティング)が5つ星なものを目指して、生きている。

けれど当然、僕にとっての5つ星が、他人にとっての1つ星、ということはままあることで。
価値観の違う人間というのはやっぱり存在するわけで。

「うまい唄」「いい教師」というのもそれぞれの人によって違う。
僕は、まず、自分にとっての「うまい唄」「いい教師」の美しさを目指す。
美しい授業を、美しい小説を目指す。

それがいつしか、周囲の人にとっても「美しい」と感じられるようになったら、素晴らしいと思う。

自分にとっての美しさと、他人にとっての美しさ。
それを、作家は、生涯すり合わせていかなければならない。
だから、まずは、多くの人に認められているもののコピーから、学ぶ=まねぶから、はじめるのだろう。

それは、売れる、売れない、の問題、セールスの問題でもあるだろう。

MUSICA2007.12の桜井さんのインタビューには、そんなことが書かれてあった。

※ところで、この記事の半分はボイスメモから起こしました。
MicroSD用USB小型カードリーダーストラップでも紹介しましたが、binWord/blog: Macでテープ起こしさんとこのスクリプトがすごいです。
Keyboard Maestroさんとこでキーを設定して、めちゃ便利。
QuickTimeでそのまま再生してるより5倍は能率がいいと思われます。
written by B&M
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